所在 |
陵形 |
皇后 |
奈良県高市郡明日香村 |
山形 |
藤原宮子 |
当時としては異例の14歳の若さで即位。祖母・持統上皇(史上初の太上天皇)のもとで政務を行っていた。後の院政形式の始まりである。
701年に大宝律令が完成し、翌年公布している。 大宝律令において初めて日本の国号が定められたとされる。遣唐使の粟田真人に初めて節刀を与えて唐との国交正常化を目指して日本の国号変更(倭→日本)を通告するも、記録の不備あるいは政治的事情からか後の旧唐書に日本伝と倭国伝が並立する遠因になったとみられている。それまで散発的にしか記録されていない元号制度の形が整うのもこの大宝年間である。また混乱していた冠位制を改め、新たに官位制を設けた。