用明天皇
代数 天皇名 御陵名 御父 御母
第31代 用明(ようめい)天皇 河内磯長原陵 欽明天皇 皇太夫人堅鹽媛
所在 陵形 皇后
大阪府南河内郡太子町 方丘 穴穂部間人皇女
敏達天皇崩御を受け即位。蘇我稲目の孫でもある用明天皇は、敏達天皇とは違って崇仏派であり仏法を重んじ、実質、王朝において仏教を公認、それが後の推古天皇以降の仏教隆盛につながった。一方、危機感を持った廃仏派の筆頭である物部守屋は、欽明天皇の皇子の一人・穴穂部皇子と通じていた。しかしながら、用明天皇は疱瘡のため、在位2年足らずの用明天皇2年(587年?)に崩御した。