桝山古墳
一辺約90m、高さ約15mの規模を測る三段築成の方墳です。方墳としては日本最大の規模で、表面で採取される埴輪から、5世紀前半に築かれたと考えられます。
第10代天皇の崇神天皇の皇子である倭彦命の身狭桃花鳥坂墓に比定されています。
倭彦命については『日本書紀』に、垂仁天皇28年10月5日に薨去し、11月2日に「身狭桃花鳥坂」に葬られ、近習(主君のそば近くに仕える役)は墓の周辺に生き埋めにされたと記されています。
殉死した近習は数日間生き続け、うめき声を上げたので、以降は殉死が禁じられ、埴輪をその代用にしたとも(考古学的な裏付けはありません)いわれています。