桝山古墳
桝山古墳は新沢千塚古墳群の東側、鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇 身狭桃花鳥坂上陵)の南側に位置しています。一辺約90m、高さ約15mの規模を測る三段築成の方墳です。方墳としては日本最大の規模を誇ります。表面で採取される埴輪から、5世紀前半に築かれたと考えられます。北東に前方部を向ける前方後円墳に見えますが、これは幕末に行われた修陵によって改変をうけた姿なのです。 実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか、身狹桃花鳥坂墓)」として第10代崇神天皇皇子の倭彦命の墓に治定されています。