埴輪とは、素焼きの焼き物で、古墳時代に古墳の上に並べて置かれたものです。
埴輪は3世紀後半から6世紀後半にかけて作られ、聖域を示すために並べたり、古墳の土が崩れないように置かれたといわれています。

埴輪は紐状にした粘土を積み上げて形を作り、中は空洞になっています。
埴輪によっては、パーツごとにつくって、粘土で貼り付けて作り上げたものもありますが、型を用いたものはありません。

埴輪のなかでも古くから作られていた家や道具の形をしていたものは、儀式を行う際に、神が降りてくる場所として使用されていたと考えられます。
人型などは領主など、身分が高い人が亡くなった際に中国の兵馬俑のように近親者や家来を生き埋めにする代わりに作られたともいわれています。

円筒埴輪や朝顔形埴輪と言われるものは、壷として亡くなった人にささげる食べ物を入れた容器として使われたり、古墳の柵のように並べて一列にして設置したものもあります。
『日本書紀』垂仁天皇32年7月の記事に、野見宿禰(のみのすくね)が今までの殉死にかえて、埴土(粘土)をもって人や馬やさまざまなものを形どって土物を作り、これを埴輪と呼ぶようになったと書かれています。
垂仁天皇のおじの倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなったとき、そばに仕えている人達も生きたままお墓に埋めてしまいました。それがとても痛ましかったので、天皇はこの習慣をやめさせたいと思っていました。その後、皇后の日葉酢姫命(すばすひめのみこと)が亡くなったとき土師(はじ)氏の祖先の野見宿禰が粘土で人や馬をつくって、これをいけにえの代わりに並べたらどうかと天皇に提案し、それ以降、埴輪を古墳に並べるようになったという説話です。
今城塚古墳

  

紀伊風土記の丘
埴輪とは?