鏡女王忍坂墓
 鏡王女は、鏡王の女で額田姫王の姉にあたる。はじめ天智天皇の妃であったが後に藤原鎌足の正室となった関係で、談山神社とのつながりが強く、かって談山会(消滅)の建てた看板がありますが、今は民有地で忍阪区の老人会が中心となって維持管理されています。古墳としての詳細は不明ですが奈良県教育委員会発行の「奈良県遺跡地図」には円墳、径15mとだけ記されています。平安時代前期に編纂された「延喜諸陵式」に舒明天皇の領域内にあると記録されていますが舒明天皇との関係は明確ではありません。